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  • 執筆者の写真林登

10/3(議員32日目)

こんばんは。

小矢部市議会議員 林登です。


3日は、10時より阿曽三右衛門翁感謝祭

午後14時半より前田利秀公感謝祭に出席しました。


小矢部市津沢の町立てを行なった

阿曽三右衛門とは、以下Wikiより引用。

万治3年(1660年)五月。三右衛門が50歳の時、津沢町立の願い書を加賀藩の砺波郡奉行津田右京と金森長右衛門へ提出して許可された。(町立文書の原本は富山県公文書館中島文庫に所蔵)津沢の町立に先立って三右衛門は明暦元年(1655年)加賀藩に対し藩の蔵を小矢部川の中流右岸に建てることを献策した。六千石の藩蔵が二棟出来ると砺波郡各地からの年貢米が収納された。この米は小矢部川下流の「吉久御蔵」(現富山県高岡市吉久)まで十二里(約45km)を二十五石積の「長船」に載せ一日かかりで川下げされた。さらに、「吉久御蔵」からは「北前船」で大坂(現在の大阪市)へと運ばれた。米だけでなく五箇山から加賀藩へ納める煙硝や伏木からの塩、肥料など様々な物資の集散地となった頃、舟運の人足や商人の利便を考え、ここに町を立てることを藩へ願い出た。津沢町立文書の奥書の署名には砺波郡清水村三右衛門、添書は浅地村の十村肝煎新右衛門となっている。この頃、三右衛門は本江村にあった阿曽家の旧宅を壊し、以後、晩年まで清水村で質素な暮らしぶりを続け、津沢町の発展につくしたと伝わっている。(引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E6%9B%BD%E4%B8%89%E5%8F%B3%E8%A1%9B%E9%96%80)


ネットで改めて調べていると、

身長は293.4cmだったと言われており、

公式記録ではないが、日本で記録上一番大きかったのでは!?と

言われているみたいです。

wikiの最後にさらっと書いてあったので、

何かの間違いかと思いました!

小さい人二人分ですね・・・これは本当に

そんな人間がいたのか、不思議でたまりません笑


14時半からは、前田利秀公感謝祭。@本行寺

石動町を作ったのが、前田利家のおいにあたる前田利秀公であります。


本行寺の裏へ回って、階段を登ると

お墓がありました!!

そして、この石動はちょっと山に登ると絶景が・・・


この瓦屋根の景色は守りたい、そう

勝手に思いました・・・

そして、前田利秀公は

1593年12月19日命日で

今回四百二十六回忌になるとのこと。

前田利秀公が

この小矢部市に今石動城を建て

お寺を集め、商工人を集めて、

発展をしていった。このことを聞くと、

今の小矢部市が前田利秀公の想いを

どう受け継いで行くのか、

これは重責だなと感じました。


人に感謝して、生きて行きたいと思っているので、

今回は、大いに阿曽三右衛門翁、前田利秀公には、

感謝いたします。

私は、お二人のように後世にまで多くの方に

感謝されるそんな人間を目指して精進して参ります。


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