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  • 執筆者の写真林登

林登が政治家を目指した原点

皆さんこんにちは!

林登33歳です!

小矢部市議会議員1期目です。


改めて、どうして政治家を目指したのか、私の原点をまとめて、紹介をさせて頂きます。 この原点、この想いは議員を3年半やりましたが、変わりません。 ぜひ、皆さんに私のことを少しでも知って欲しくて、書きます。 長いですが、よければ最後までお読みください。 では、どうぞ。 --------------------------------------------------------

政治家を志した理由は、かれこれ20年ほど前のこと...


石動中学校に通う私、登少年

14歳、中学二年生の時...


総合的学習の時間という授業が始まった!

何か、地域のことを調べて、ガンピ(模造紙)にまとめて発表するらしい!


僕らの班は、埴生八幡宮に行って鳩清水の湧き水のこととか、ガンピ(模造紙)にまとめて、教室の廊下に張り出した。


さぁ、学年全体で他の教室も含めて、みんなの発表を見るという最後のまとめだった。


みんないろんなこと調べとるな〜って思って見ていたら、

一つ目に止まった班のガンピ(模造紙)があった。


え!?クロスランドおやべってタワーとか周りの施設とか

含めると60億以上かかっているの!?


中二の僕は、やたら興味を惹かれて読み込んだのを覚えている。


「クロスランドおやべ60億円」

みたいな見出しだった。


その子たちがタワーの券売所の方に聞いたら、

「誰もタワーに登らない日もある」という。


え!?誰も登らないタワーにうん10億円1?


なんでなんだ!?僕はよくわからなかった。


後日、「小矢部市の職員の方が来てくれます!

なんでも質問してください!」と、

先生が言う。


この授業の最後のまとめみたいな時間だった。

僕は聞いた。

クロスランドのお金について。


市の職員の回答は鮮明に覚えています。

「建設費はほとんどが借金です。なぜなら、将来の皆さんも使いますよね?

借金にすれば、将来の皆さんが納税したらそのお金を充てることが出来る」

みたいな話でした。


中二の登少年は、衝撃を受けました。


え、僕はあのタワーは要らないし、

中二の時点で僕らが将来納税したお金の使い道まで決められているの !?


中二にして、地元小矢部市への不信感が湧き上がって来ました。


僕らの将来は、この小矢部市は大丈夫なのか?


ものすごく不安になりました。


いろいろ考えました。


そういえば、おかしいことがたくさんありました。


メルヘン建築といい、僕らの中学校は

上から見れば田んぼの[田]の字で、

一部のクラスは西側に教室の窓があり西陽が

夏はとても暑くなり環境がひどいのです。

また窓を開けても田の字のために、風が抜けず

全く涼しくありませんでした。


この市はおかしいのでは?

メルヘンやタワーで何かの産業が振興されるとも思わないし、

自分たち子どもにとっても何も良いことがわかりませんでした。


中二の私は、ふと思いました。

政治家になれば、小矢部市を良くすることできのでは?


おかしいことが多すぎるから、自分で良くしたい!


単純に、そんなことを思ったのです。


私が政治家を志したのは、中学二年生の時分です。


さらに、あれから5年ほど経った頃

私は、20歳の大学生。

東京にある帝京大学で教育を学んでいた。

しかし、就活が始まろうとした大学2年の秋。

就活!?どうしようか・・・

就活が始まり、周りの友達は合同企業説明会など

活動を開始し始めた。


んー、何かしっくりこないまま

教育系の民間企業の説明会に足を運んでいた。


さて、自分は何をしたいのか・・・

自己分析をすると、5年前のことが鮮明に思い出してしまった。


「あ、おれ政治家なりたいんだった。」


それ、わくわくする。

そういえば、あれから何年も経ったけど、

小矢部が大きく変わるような気配もないし、

大きく変えてくれる政治家もいなさそうだな。


誰もやらないなら、自分でやろう。


20歳の僕は決意した。

小矢部にいつか戻って政治家になる。

自分の進路は、民間企業でも行政でもなく政治家だった。


それから、多くの地方議員にお会いして、

どうしたら議員になれるのか、教えてもらった。


そしたら、地元帰る前に東京の大学院で勉強しなさい!と、言われた。


素直に、行政の実務や政策を学べる大学院を調べて、

明治大学公共政策大学院に入学した。


学部の大学よりも、好きなことを学べるとあって

毎日楽しくワクワクしながら、大学に行っていた。


その他にも自分には知識と経験が足りないと感じた。


そこで、大学院に入るまでは、 社会科の教員免許を活かして、

高校の講師で日本史や現代社会の授業を行いました。


教育の現場を知ることができ、今でも役立っています。


そして、知人が作った障がい者の支援をする介護事業所で ヘルパー2級を取り、介護サービスに従事しました。 介護の現場、福祉の現場を学ぶ好機でした。 それから大学院に入学後は、 大学院の授業が夜と土日にあるため、 残業なければ働けました。そのために、


派遣社員で営業職に就きました。 電話でフレッツ光の光回線を販売するゴリゴリの営業会社でした。 人にどうすれば、商品の魅力が伝わるのか、自社のことを信頼してもらえるのか、営業の基礎基本を上司から教わることができました。 全てが今の市議会議員の活きています。 大学院を卒業した後、27歳で小矢部にUターンし、


民間企業で2年間のサラリーマンをして、 30歳で小矢部市議会議員選挙に最年少で立候補し、


当選をすることができました。


実際に、小矢部で立候補する際も色々とあったが、


そこは、また今度書いてみたい。


私の原点は、クロスランドおやべに疑問を持ったことが出発点であり、

そのクロスランドおやべの現在の経営状況や運営手法には、

今でも疑問があり、おかしいことが多々ある。


全然、何も改善されていないことに憤りを感じている。


議員一人が言っても変わらないことも多い。


日々、悶々としている。


とりあえず、今以上に勉強、努力して

小矢部のためになれるように、精進します。

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